お山歩日記2003「槍ヶ岳〜槍は心のふるさと編」

 

山域  

 槍ヶ岳
ルート  新穂高温泉〜鏡平〜双六岳〜槍ヶ岳
〜飛騨沢〜槍平〜新穂高温泉
期間 9月7日〜9日
参加者 ノリヒコ、リツコ、ヒロユキ、トシオ


3年越しの憧れの槍ヶ岳だ。ルートは悩んだ。基本的に槍は遠いので、単体で登っても無理すれば1泊2日も可能だが普通は2泊3日。

上高地から槍沢を経て10時間をかけ槍の肩に至るのだが、余り面白みに欠ける。どうせ2泊3日ならば、縦走をと考えた。

3年前に燕岳に偵察がてら登り、目の前に連なる槍への道を見て感動し、これを行くのだと決めた。いわゆる表銀座縦走路が当初の予定だった。

しかし、2つの理由から変更を余儀なくされた。

1つは車の回収だ。登り口と下り口が100km弱離れているので面倒だ。

二つ目は、今回嘉穂がリタイアしてから親戚登山隊になってしまったわが隊に、新たなる血を導入するべく隣の家のヒロユキ君(以下敬称略)が参加。

非常に安易な編成には変わりは無いが、求む男子隊員なので良しとする。

彼は昨年乗鞍岳に登り、槍の姿に感動して登る気になったらしい。

最初の本格登山が槍ヶ岳、しかも縦走。私ならば絶対登らない。

勇気か無謀か良く分からないが、訳も分からず登ると意外といけたりするのだ。

まぁ体力は少なくともリツコよりは有りそうなので、気持ちさえ切れなければ大丈夫と判断した。

しかしながら、表銀座で2泊3日の日程では平均8時間(休憩抜きで)歩かなければならない。

これはキツイ。検討の結果、今回のコースだと周遊コースなので車の心配は無いし、コースタイムもほぼ2割がた楽になる計算である。

まぁ実際は登ってみないとわからないが・・・

さてさて始まり始まり。

登山口の新穂高温泉まで和具から8時間をみて、前夜10時出発。ノリヒコとは松本経由で安房トンネルを抜け平湯で待ち合わせ。

我々は東海北陸自動車道終点の飛騨清見から高山を経て平湯に至る。もちろん御在所SAの恒例でうどんは、無理やり宏幸にも食べさせたが、いかに?

予定より早く4時過ぎには平湯でノリヒコと合流。5時前に新穂高温泉に着く。しかし、これからが問題だった。

新穂高ロープーウェイの駅付近にビジターセンターがあるのだが、駐車場が無い。

正確には登山者用。短時間駐車設定になっているので、3日も置けばバカみたいな金額になってしまう。しかも2台だし。近辺をウロウロしても何処も同じだ。過去に西穂に登った時は1日1000円だったのに、何て所だ、ガイドブックに何の注意も書いてないのもイカン、と途方に暮れていたが、ようやく登山者用の駐車場の案内看板を発見。

「来た道を1k戻る」と書いてある。喜び勇んで戻ってみたが、それらしきものはなく、当然地図上にも無いので頭を抱えた。仕方なく再び駅に向かう。

すると砂防トンネルの途中に看板発見。駅方面の一方しか付いてないので、これは分からないはずだ。

河川敷の駐車場は200台ぐらい収容出来そうだが、9月だというのにほぼ満杯。やっと仮眠と思ったら、空が白み始めてきた。

周りがガサガサと用意をしだす。時間を見ると5時半前。1時間近くウロウロしていた訳だ。

仮眠を諦め、我々も準備を始めた。またしても徹夜登山だ。とりあえず、弁当と栄養ドリンクで目を覚ます。

相変わらず荷物が減らないザックを担ぐ。最近は重さを計っても意味が無いので計りはしないが、少なくとも10kg以上はあるだろう。

用意も初めてのヒロユキに準備の為に担がせたら、あまりの重さにビックリしていた。そう、この重さが大敵なのだ。

しかし、今年新たに導入したザックが優れものだ。背面にパットが入っていて、これが自分の背中の形に合わせられる。肩で背負うのではなく背中全体で担げるために、肩こりが随分楽になった。モンベルはエライ。

さてさて予想外の1kの途中、無人販売で買った100円のトマトをかじりながら、登山を届出しにビジターセンターに戻る。

夜明けの笠ヶ岳 小池新道

次第に明けゆく空に笠が岳の姿が浮かび上がる。

北アルプス南部は横着にいうと、3つの山脈が川のように並んでいて、東から表銀座と呼ばれる常念山脈、上高地を挟んで槍穂高連峰、そして富山県の立山から笠が岳に続く裏縦走路。その3本の線が槍で結ばれている。

槍には東西南北に尾根があり、6つのルートがある。

今回は西側2ルートを使う。笠が岳沿いに進み、裏銀座重走路に合流し、西尾根から槍ヶ岳に向かう。帰りは槍ヶ岳から南西下り、槍穂高重走路沿いに新穂高温泉に至るのである。

街の中心を流れる蒲田川を渡り、キャンプ場を突っ切ると左俣林道に出る。

一般車両は通行止めだが立派な林道のほぼ平らな道をひたすら歩く。

「タクシーかバスを通せば良いのに」とブツブツ1時間以上歩くと、笠が岳への最短コースである笠新道の分岐に出る。

登山口に力水が引かれていて喉を潤す。どうも山では飲める水は全て飲んでみる利き水の習性がついてしまったようだ。

さらに15分程歩くと、わさび平があらわれる。しばし休憩、最初の山バッチをゲットする。小屋から30分ぐらい歩くと、林道と別れいよいよ小池新道と呼ばれる登山道に突入だ。

沢沿いの巨大な石の河原をひたすら登る。遮るもののない河原で直射日光の洗礼を受け、空と山の境を目指す。

1時間も登ると秩父沢の期間限定の橋にでる。沢の水は冷たくて美味しい。水筒の水と入れ替える。

橋を渡ると背の低い樹林帯に入るが太陽の洗礼はそのまま、風が通らないために暑さが増す。

小池新道からの弓折岳 鏡池からの槍ヶ岳

私、ヒロユキ、リツコ、ノリヒコという順番で歩くが、最初は新人を気遣ってスローペースで歩いていたが、思ったよりしっかりとした足取りなので安心する。表情からは来た事を後悔している様だが、今さら遅い。

休憩をこまめに取ることにする。休憩毎に、ヒロユキは背中の荷物が馴染まない為か岩にへたり込む。

沢を過ぎてから本格的な登りとなる。今回の中では、縦走路の稜線までの3時間半に及ぶ登りが、体力的は一番キツイところだ。

振り向くと乗鞍岳や穂高連峰の雄大な姿が、頑張れと声援を送ってくれる。

笠が岳間近に見えるようになり鏡平への分岐点に着いた頃には、さすがの宏幸も足が攣る寸前だった。

「足がピクピク言うとる。」と座り込むやいなや、Tシャツを脱いで裸になり、ルートを分けるロープにシャツを干していた。

ノリヒコもそれに似たような状態らしく、「運動不足や。」とつぶやいている。

いつもであるが、不思議な事に運動らしい事は何もしていない体力的には一番劣るであろうと思われるリツコは割と平気な顔をしている。

遅れつつもマイペースなのはさすがにベテランで、よく考えると高山でいつも登っているのは妻のエツコではなく彼女なのだ。

私のいわゆる山のパートナーは実はリツコなのだということを、最近になって認識したのだった。

今度からサブリーダーはリツコにしよう。

何時もの様に、無責任に励まし、ダマシダマシ歩み続けるとようやく道が平らになった。

鏡池と穂高連峰 鏡池と槍ヶ岳

突然視界が広がると目の前に池が広がる。その向こうに広かる野は目指す槍の姿穂高までの稜線が一望出来る。

これこそ鏡池。直径30m水深2mぐらいの小さな池だが、その湖面に槍穂高が映し出されるそれはそれは美しい光景であり、今までの疲れが吹き飛ぶ。これだから山は辞められない。

相変わらず「すご〜い!」と叫ぶのはリツコであった。

居合わせた人の話に耳を傾けると、槍からこちらに来た人からすると振り向くとこの景色は見える訳で、これからは見納めで初めてみるとあの姉ちゃんみたいに感動するんだと、解説していた。

ガイドブックとは違う光景で、ヒロユキは「こんな小さな池か。」と呟いたが、確かに写真ではもっと広い感じで、事前の私のイメージも御岳の二の池ぐらいの感じだったけれど、よく考えると池が深いと水の色が濃くなって鏡の様には景色は写らない。

いわゆる箱庭の光景なのだ。池を回り込むと鏡平山荘に着く。

小屋の前に湿原に張り出したテラスがあって、20人位の人が休憩していた。

腹が減ったということで、我々も休憩。荷物を降し、山バッチを見に行くとカウンターに衛星放送を利用したモニターがあって、天気予報が出ていた。明日の天気は曇り。

思わず、「明日は、天気悪いのですか?」と山小屋のオバちゃんに聞いた。

「そのようですね。でも、あまり当てにはなりませんよ。」と気休めの言葉をかけてくれたものの、嫌な感じがする。

とりあえず、山バッチを2個購入。水は1L100円なり。自分で水道の栓を捻って、水筒に補充する。

水は各自1・5L〜2L程持っていて、飲んだ分だけ当然重量は減るが晴れていると結構飲むし、何があるかわからないのでまだまだ歩く場合、とりあえず補給する。結局ザックの重さは変わらず、減るのは食べた食糧だけだ。

皆それぞれ持参の食料を減らしにかかるが、ノリヒコは800円のラーメンを食べると言い出した。

「ウ〜ン麺がイマイチだ。」一応みんなで一口ずつ試食。それはそうだ。2300mの山の上で美味しいはずがない。どだい高地では沸点が低いので、上手に麺を茹でられないのだ。かえってインスタント・ラーメンの方が美味しい。

そうだ、ノリヒコは昨年の白馬にいなかったから、美味しいと書かれたポスターを真に受けて食べたカエコさんの失敗をしらないのだった。

それはさておき、目の前に槍穂高の姿を見ながらの食事は、美味しいよりありがたいって感じだ。

見上げる弓折岳(2588)まで標高差約300m。ルートは見た目にはそんなにキツそうでもなかったが、見た目と実際は大違いだ。

5時間の疲労もあり、後半の一歩一歩は地球の引力を感じる。

槍からドンドン離れる様にして、1時間。とにもかくにも弓折岳の分岐に到着。

先客に若いネーちゃん3人組がいた。その一人があろう事かスケッチをしている。

やられてしまった。先にやられてしまうと、後からゴソゴソ取り出すのも恥ずかしい。

時間的な流れの中で先を急ぎたい雰囲気と、次第にガスりつつある景色に余裕を無くし、後ろ髪を引かれる気分で、一路北へ。

反対方向に行けば笠が岳である。ここからは快的な稜線歩きだ。

軽いアップダウンを繰り返し、もちろん恨み節と供に、着きそうで着かない道を進む。途中お花畑の展望台に出るが、オバちゃん連中に占領され敢え無く退散。

弓折岳〜双六岳稜線 双六岳

それでも一時間を過ぎ双六岳姿がガスのベール越しに見えるようになると、その麓に今夜の宿の双六山荘が見えた。

しかし見えてからが遠く、最後の下りに続く双六池までのハイマツの道は気もソゾロ。池の景色も見る気も無く、意識はただひたすら目の前の山小屋に着く事だけであった。

たいした傾斜じゃない登りの道を、「ビール、ビール!」の掛け声で登り切ると。8時間をかけてようやく到着。

200人規模の中規模の小屋で、モットーは笑顔と親切。ビールの前にチェック・イン。

うれしい事に小部屋に分かれていて4人部屋に案内された。この部屋は4畳位なのだが、2人づつ2段になった寝床と、その手前に2畳位の畳敷きのスペースがある優れものの部屋だ。布団を敷いても宴会スペースがあるという事だ。

荷物を置き、いよいよビールタイム。

小屋の前のテラスにテーブルが4組あって、目の前には三俣蓮華岳、その後ろに鷲羽岳、水晶岳、裏銀座重走路の山々が一望出来る。カップラーメンを作りながら、乾杯!これだから山はやめられない。

ちなみにノリヒコは2泊なので昼食を2食分用意するように伝えたのにも関わらず、1食分のレトルトしか持って来なかったので、ラーメンはその不足分に当てたため、コーヒーで我慢。それで鏡平でラーメンを食べたのか。双六小屋にもラーメンはあったけれど、さすがに食べ比べる勇気は無いようだ。

着く前から笠が岳方面からガスが上がりつつあって、我々がテラスに出た頃には双六岳山頂はガスの中だった。

「行くなら行けば。」と皆の冷たい態度もあり、更なるビールの誘惑に勝てず、断念する。

2時過ぎなので5時半の夕食に腹を空けとかなければならないので、おでんの誘惑には勝った。

つい3日前にヨシエさんと木曽駒へ行った事への感謝の意味で、ノリヒコの奢りの生ビールを傾けつつ、スケッチ・タイムだ。すばらしい事に、パートナーのリツコはちゃんとスケッチブックを持参していた。

夕食は豪華で上げ膳据え膳であり、チキンカツに野菜の天ぷら、煮物、そして、そうめんが付いていたのにはビックリだ。

従業員の兄ーちゃんは終始ニコニコしていてサスガである。

夕食後、外は乳白色の世界で夕日なんてものじゃない。次第に強まる風がどうも怪しい雰囲気だ。

部屋に戻って持ち込みの酒で宴会の続きだ。と言っても、夕食の途中からリツコは既に出来上がりダウン。ノリヒコも酒は弱いので早々に潰れる。

カホ、ヒデオ無き後、ヒロユキの存在はありがたい。一人酒は寂しい。

高地では酔いが回り易く、しかも徹夜登山なので、初めての人は要注意だ。たいしたものだよヒロユキくん。普段の鍛え方が違うみたいだ。

8時消灯。かくしてようやく1日目を終える。ちなみにトイレは屋内で廊下には常夜灯がついているので夜中でも安心だ。しかも簡易水洗である。ゴォーゴォーと鳴る風の音とグォーグォーと響くヒロユキの鼾と供に山小屋の夜は過ぎるのであった。

双六小屋テラスで乾杯 双六小屋夕食

一夜明け5時の朝食に合わせ4時半起床。

真っ先に窓の外を見るが、OH!NO!真っ白だ。しかも凄い風だ。

夜中これから行く稜線で立ち往生する不吉な夢を見てうなされたが、果たしてどうなる事か隊長としての責任が覆い被さる。

不安一杯のまま、朝食を食べるが、何時もほど食欲が沸いてこない。

早々に準備をして外に出てみるが、視界は10m以下だ。

玄関でみんなを待っていると、山小屋の姉ちゃん2人と若い登山客の兄ちゃんが記念写真を撮っている。

さすがに親切をモットーとするだけに、住所と電話番号を交換し、ディズニーランドに行く約束までしていた。

私もスペイン村に行く約束をしようとカメラを取り出したが、リツコに笑われる。

どうやら何か繕い物をしてもらって仲良くなったらしい。しまった。ノリヒコの裂けた水筒入れの修繕を頼めばよかった。

小屋前で記念撮影の後、一人で槍に向かう人の姿を見て、覚悟を決めていざ出発。6時10分であった。

樅沢岳(もみさわだけ)まで約45分いきなりの急登だ。しかも稜線に出ると、南からの風が強烈で小さな台風並だ。

視界は悪く、5m先しか見えない。

雲の中なので湿度が高く、朝の冷え込みは無いがそれでも10℃だ。

カッパの上着を着け重心を低くして進む。

こんな天気なので先行くパーティはあまり無く、風の音とガスに遮られ孤独な山行が続く。

傾斜はあるけれど先が見えないので今何処にいるのかサッパリ分からない。

マーキングが少ないハイマツの中、ルートを見失わないように細心の注意をする。

幸いな事に一本道なのと、しっかりとした踏み跡があるので大丈夫だ。

隊長が不安な顔をすると、みんなに伝染するので「晴れていれば、素晴らしい景色の稜線歩きなのに残念。」明るさを装う。

2600mの双六小屋から登ること約150m、平になったと思ったらそこが樅沢岳(2755m)だ。当然視界悪し。

とりあえず急登は一休みで、アップダウンの道となる。

南側斜面では谷からの強烈な風で声も届きにくい。反対に北側は山陰に隠れて無風で、風で高く飛べない小鳥のさえずりが聞こえる。

後からくる人もいなければすれ違う人も無い、夏山の主要登山道では珍しい静かを通り越して寂しい登山だ。

我々の前に出た単独行の人はさぞや心もとないだろう。

麓で貼ってあったポスターの行方不明者も単独行らしく、こんな時に遭難するんだろうなぁと思った。

危険な所は少なく、ただ両側に遮るものがなくなると突風が吹き飛ばされそうになるのでなるべく端の方は避けるように歩く。

硫黄臭がした所が、多分硫黄岳に分かれる硫黄乗越だったのだろう。

1時間も歩くと湿気で全身ジトジト、カッパからは水滴が落ちる。

休憩してザックを降すと、シットリとしているので慌ててザックカバー(ザック用のカッパ)を掛ける。

お間抜けなリツコはどうやら忘れてきたみたいで、これ以降雨に敏感になる。

気温は一向に上昇せず、長い事休憩していると寒くなる。逆に気温が低いとペースは上がる。

樅沢岳 稜線の花

時間経過だけが大体の場所を推測しうる手段だ。知らないうちに左俣岳を過ぎていたらしく、一気に下るとそこから岩稜地帯になった。

後から気づくと西鎌尾根に入っていたらしく、登り下りの足元が厳しくなりスサリ場が連続して現われる。

石が濡れているので、滑るのに注意して慎重にすすむ。

晴れていたらきっと素晴らしい展望と、足が竦ような高度感も味わえるのであろうが、下が何も見えないので、残念ながら危険な場所でも怖さは無い。突然杭の標識が現われた。千丈沢乗越(2734m)である。

ここからは槍本体への最後の登りだ。あと少しと言ってもコース・タイムではあと2時間は必要ではあるが・・・。

その安心から、ふと気を抜いた途端、いきなりの突風。体が浮き上がる。

慌てて一同しゃがみ込むと、バタバタバタと風に煽られてザックカバーが捲くれ上がった。

痩せ尾根だったら危なかった。みんな足を踏ん張りながら記念撮影をした後、いよいよ槍を目指す。

千丈乗越 強風の千丈乗越

槍ヶ岳山荘(3080m)まで約300mの登りだ。

昨日鏡池からみた最後の傾斜はかなりのものであったが、実際登って見ればやはりさすがに槍で、簡単には済ませてはくれない。

景色もゼロで明らかに後悔しているヒロユキを筆頭に、表情は必死で苦行僧のようである。

宏幸は腿がまたピクピクするといいつつも、それでもセカンドポジションを取って遅れる事なく付いてくる。

体力的に劣るるリツコは遅れ気味だが、ノリヒコが意図的かどうかは分からないが付いているので安心だ。

次第に岩が聳え立つ様になり、ガイドブックでは小槍が見えるようになったら間近のはずだが、とにかく上を見ても何も見えない。

再び平らになり標識が現われると、そこは槍ヶ岳山荘のヘリポートだった。

10mの距離なのに小屋が見えず、少し回り込むと槍か岳山荘の看板が見えた。

5時間45分の予定が、なんと4時間40分の超特急。まだ10時50分だ。

小屋前で槍沢方面から登ってきた人に会う。

みんなひと安心したものの、不安な素振りで「槍の穂先は何処ですか。」と聞いてくる。

我々も初回なので、後からくる人に聞いたら、小屋の後ろ側を指して、「あちらですよ。」と言う。

とりあえず納得して、まだ昼前だが外は寒いのでチェック・インする。

最大収容で650人の大きな山小屋である。

一泊2食付き8500円で案内された所は、40人ぐらいの大部屋で窮屈そうだった。

受付をしたリツコが、8000円〜1万円プラスすると個室があると言う。

4人部屋と5人部屋を見比べた結果、一人2500円プラスして後者にする。

個室は限りがあるので最盛期は予約が無いと取れないし、この時期は早い者勝ちだ。

天気は悪いが、明日の日程を考えると出来るならば穂先に今日中に登っておきたい。

とりあえずビールはお預け。

野点タイム 槍ヶ岳山荘テラス

自炊室を発見し、レトルトの御飯とおかずの昼食を取る。ちなみにノリヒコはラーメン雑炊。

食後に本来ならば、外のテラスで自慢げに抹茶を点てるはずだったが、身内だけの地味な茶会だった。

もちろん訳の分からないまま、ヒロユキは無理やり飲ませられたが・・・。

続々とやって来る人たちも、みな苦渋の表情を浮かべチェック・インする。

玄関に衛星テレビが置いてあり、天気予報が一日中ついている。

荷物を降し玄関に集まり、天気予報とガラス越しに見えない槍の穂先を見る。天気概況は悪くなく、しかも明日はあまり良くなさそう。

下界は晴れているのだろう。山の天気は変わりやすいので、ガスが抜けるかもしれない。

これから長い長い待機が始まるのであった。

同じ窓で槍の穂先を眺める初老の夫婦から、3回もここに来てガスで一度も登れないかった人もいるという話を聞く。

初めての人が殆んどらしく、互いの様子眺めだ。

行く人がいたら状態を聞いてからと互いに牽制している。

私は西尾根での風を思い出し、危険度の高い濡れた岩登りに正直ビビっていた。

受付のカウンターを見ると、いつの間にか山の主みたいな爺さんが座っている。

諦めをつけようと、「こんな風の強い日は危険ですよね?」訊ねてみた。

すると「取り付いてしまえば風は下から吹くだけなので、手足さえ離さなければ大丈夫だ。」だと。

それはそうだろう。でも何時までも張り付いていたのでは頂上には着かない。

山では完全に自己責任なので止めろとは言わないんだな、これが。

問題は危険を返り見ず登ったとしても、このガスでは何にも見えない事だ。

落ちれば確実に死ぬのが分かっているので、躊躇するのだ。

もし明日が晴れればいいが、ガスだったらどうするのか、登るのか、登らないで降りるのか、隊長の判断しだいだ。

迷いの収拾がつかないまま、暖かいがやけに石油臭い談話室でNHKの連続テレビ小説を見る。

こんな山の上でテレビドラマを見るとは思はなかった。

ちなみに携帯もドコモは飛んだ。時間は過ぎるが、一向にガスは晴れず。

宏幸は真っ白な絵を書けとそそのかすが、空しく時は過ぎるのであった。

しかたなく土産を買いにフロントに下りる。山バッチとキーフォルダーとカウベルをゲット。

そのうちに2時となり、痺れを切らした2〜3組のパーティが果敢にも挑戦。

よほど後に続こうかと思ったが、様子を聞くまで待機。

しばらくすると先ほど「気をつけて、頑張ってください。」と見送った人たちが登り口が分からないと戻ってくる。

例の仙人みたいな爺さん聞くと、なんと我々が登ってきたヘリポートのすぐ脇が穂先への登り口だった。

みんな、いい加減だなぁ。そのうちに雨まで降り出したので、さすがに今日はもうダメだと判断した。

待っている間、指を咥えて見ていたビールの自動販売機についに降伏。

ちなみに生ビールは1000円もするので問題外だ。350缶でも500円もするが致し方なし。

こうなるともう宴会モードに突入だ。少なくとも宏幸と共に持ち込んだウイスキー各500ccは飲み干さねば。

もちろん荷物を軽くする為である。ほど良く酔いが回り始めた頃に、先ほどのアタッカーの一団が無事帰還。

部屋の窓から顔を出し、どうだったか訊ねた。

「滑るので危ない。しかも頂上でしばらく待っても、何も見えなかった。しかし怖さはあまり感じない。」そうだ。

良かった。行かなくて。

先ほどの人達の経験を参考にして意見の集約を図る。

天気が悪ければ無理をせず、来年違うルートでアタックしょうという気運になる。

こんな天気だから、夕食の雰囲気も昨日に比べ、今ひとつだ。

それに料理も今ひとつ。

食事の間、山小屋のバイトの日給は幾らかと話題になった。

じゃぁ聞いてみようと、一番若いお兄ちゃんに訊ねた。なんと、日給6000円だと。

「安いなぁ」と言うと、飯食べ放題で酒も出るらしく不満は無いらしい。使う場所も無い事だし。

ちなみに彼の行き帰りは自分の足。好きこそ物の上手なれと、訳のわからない例えで決着が着いた。

夜は昨晩同様、外の風の音と中のヒロユキの鼾が響き渡るのであった。

違うのは風の音だけではなく雨音が混じる事だった。

またしても悪夢にうなされる。

日の出 槍の穂先

悪夢は現実となったようだ。

何はさておき、一番に窓の外を見る。昨日と同じホワイトアウトだ。

ノロノロと身支度をして5時半の朝食を取り、諦めがつかぬまま外に出た。

しばらく見えぬ穂先を見つめていたら、東空に太陽らしき黄色の光点を発見。日の出だ。

ガスに再び隠れるが紛れも無い太陽だ。

すると突然薄っすらと槍の穂先のシルエットが浮かび上がった。

隣のリツコと顔を見合わせ、西の空を見る。気のせいか明るくなってきているようだ。

風の感じも変わってきた。いけるかもしれない。

突然山小屋全体のテンションが上がり、昨日は仕方ないから上高地に下ろうと話していた人々も慌ただしく動き出した。

リツコとノリヒコにGOサインを出し、部屋に戻りアタックの用意。

ガスのため中止と思い込み、トイレで一仕事していたヒロユキも慌てる。

最低必要限の荷物だけ持ち外に出ると、燦燦轟々人が穂先に向かう。

ヘリポートに出ると、確かに標識があり、根元の湿った岩稜が確認できる。

見上げると、子槍を従えた100mの尖った岩塊がガスの中に聳え立つ。

最初の20mは普通の登山道、2本足で歩ける。

昨日一緒に窓越しの槍ウォチィングをしていたオジサンとすれ違う。

本日槍一番乗りだったらしく、にこやかに「シャッターチャンスは、雲の切れ間の一瞬だよ。」と教えてくれた。

そしていきなり岩の壁が行く手を塞ぐ、こんな所を登るのかと後悔するが、それはあくまで序盤だった。

3点確保で手足を一つずつ慎重に移動させる。10m程這い上がると、左への巻き道。

この辺りからガスが薄くなり出した。

穂先岩場 穂先岩場のメンバー

首を思いっきり反らして見上げるルートは、本当に大丈夫かと思ってしまう。

「マジかよ」とつい口に出る。これからが本番。

前を行く3人組(女、男、女)が

進むのを待って、濡れた岩の手がかりを探して登る。

鎖が現われ、なるべく鎖に頼らないように体を引き上げる。仲間の様子を見るのに視線を下げると、笠が岳の姿が西に見え出した。

最初の垂直の階段にたどり着いた頃にはガスのベールがスーと抜け落ちようとしていた。

今までは落ちたら死ぬと言う事が頭では分かっていものの、ある意味怖さはあまり無かった。

しかし、気づいたらいきなり3000mの岩壁に張り付いているのであって、天空に放り出されたような気かする。

足の裏がムズムズし、くすぐったい。尻の穴がキュと締まる。この高度感は強烈だ。

奇跡のように見る見るうちにガスが晴れ出す。もう下は怖くて見れなくなり、鉄の階段にしがみ付き一歩一歩登る

一息きつき、顔を見合すとみんな顔が引き攣っていた。

宏幸が言ったが「こんな所は人間の来る所と違う。アホと違う?」確かにそうである。

再び岩にしがみ付くと、目の前にL字の鉄筋が打ち込んである一枚岩が出現。

これが問題だった。先を登る20代の姉ちゃんがこの岩で固まった。

「ねえ、何処に足を置けばいいの!どうやって上るのよ!」と片足をブラブラさせながら叫んでいる。

先行く男の連れは「ゆっくり登ればいいよ。」と能天気にパニクル女の写真を撮っていではないか。

待つ我々も充分な足場を確保している訳でもなく、正直怖いので「早く登れよ!」と言いたい気分だ。

そこは大人なので、「押し上げましょうか。」と助け舟を出すが、「いいです。」と言って、相変わらずのお騒がせである。

下には300m落差で殺生ヒュッテの赤い屋根がみえる。滑落すれば確実に死ぬ。

後にノリヒコが自分で驚くほど生命への執着心を感じたといみじくも呟いたが、急かす訳もゆかず、長い長い10分間が過ぎる。

早くからそうすればいいのだが、ようやく杭を掴む両腕の力技で体を引き上げクリア。

確かに手足が短いと不利ではあるが、より体の小さいリツコはスイスイ上がったから、あ奴は何なんだったのだろう。

そして最後に10mの階段2連発

眼下の槍ヶ岳山荘 槍ヶ岳山頂

目の前の岩と鉄の階段のみを見て、指先に神経を集中。

半円の最後の手すりから体を上げるとそこが3180mの槍ヶ岳山頂だ。

定員20人ぐらいの細長い10畳程のスペースがあり、奥に江戸時代に播隆上人が開いた祠がある。

中には阿弥陀如来、観音菩薩、文殊菩薩の三尊が安置されている。

2日ぶりの太陽と満面の笑顔の人々が待ち受けていた。

そして360度の大絶景。神様仏様、それに播隆上人に感謝。

先ほどまで効果が無いので、もう止めようと思っていた御在所のうどんにも感謝。

穂高連峰へ続く稜線 槍ケ岳山頂から見た穂高
表銀座縦走路 子槍

次々に登頂してくる仲間達を握手で迎える。

至福の時間の到来だ。本当に嬉しいとにこやかさが違う気がする。

日常生活と山での苛酷な時間の後に味わうこの一瞬の時間の感動は経験者でなければ分からないだろう。

特に今回は思いっきり勿体をつけられたので、格別だ。

南は写真で見るあの穂高への憧れの縦走路。

東はまだガスでハッキリと見えぬものの常念山脈。

そしてそれから延びる表銀座縦走路と東尾根、100mの標高差で点在する2つの山小屋。

見た感じ表も最後はかなりキツそうだ。

北尾根は祠を乗り越して見下ろさなければならないが、先客がいたので見えなかった。

槍沢 槍が岳山頂
笠ヶ岳 西尾根裏銀座縦走路

なにせ360度全て絶壁なので端から50cm以内は私には近づけない。

西に張り出す子槍を見ようと腹ばいになって見下ろしたが上からではゴツゴツした岩がいっぱいあって特定できなかった。

その下に続く昨日歩いた西尾根と裏銀座縦走路をまじまじと観察する。

結構アップダウンがあり、結構ヤバそうだ。これを歩いたのかと我ながら感心するのであった。

この至福の時間も終わりの時がくる。

「もう下りるの?」とリツコは言うが、8時のチェックアウトもあるし、帰りの7時間半を考えると、何時までもここにいる訳にもいかない。

後ろ髪を引かれながら、多分帰りはもっと怖いだろうと予想していた階段に取り付く。

穂先鎖場 槍の穂先

しかし不思議と怖さはなく、下り専用のルートで一気に小屋に下りた。

下から見るクリアな槍の穂先は圧倒的で、そこに点々と張り付くカラフルな人がかえって怖さを感じる。

スリル満点最高に面白かった。満足満足。

荷造りを終え、最後に登頂記念に「槍は心のふるさと」と書かれた手ぬぐいを買う。ノリヒコは記念のワイン。

ちなみに登頂証明書が付いた日本酒もあったが2本セットで5000円もするので問題外だ。受付のカウンターには例の怪しげな爺さんの姿はなく、実はあの爺さんは仙人で気分によってガスの出し入れをしているんじゃないかと噂しあった。

am7時30分、山小屋から南に穂高への縦走路を進む。

テント場をすぎると、大喰岳(3101)を前にして下りに突入。

晴れてきたのでいきなり半袖になったのが間違いで、稜線を渡る風は冷たく慌てて、長袖を重ねる。

標高3020mまで下ると、そこが長野と岐阜の県境に当たる日本一高い峠、飛騨乗越である。

真っ直ぐ登れば穂高だ。楽しみは後日に取って置いて、最後の槍の姿に別れを告げ左に折れ飛騨沢へと下る。

稜線直下は、ガレ場(岩と岩が重ね合った岩塊の斜面)のつづら折の道で、浮石や落石に気をつける

気を抜くと滑ったり転倒するので、危険だ。

ノリヒコが尻を揉むのを忘れているので注意しておく。

西尾根を眺めながら一気に下りるとお花畑、アザミやトリカブトなど秋の花が咲いていた。

昨日風に飛ばされそうになった千丈乗越への分岐には救急箱が設置されていた。

さらに下り、沢の音が聞こえるようになる大喰沢と合流。

登りの場合最期の水場、冷たくて美味しい不味い小屋の雨水と入れ替える。

槍ヶ岳山荘 飛騨乗越

さらに下るとダテカンバの林が現われる。槍穂高の縦走路を谷沿いに進むのである。

見上げるどれがどれだか、よく分からないがとにかく穂高連峰だ。

谷はまだ高く中ノ沢を過ぎ、川が開け河原が広がったと思ったら2時間以上かけようやく槍平に到着。

ここは南岳への分岐でもある。

地図上はあまり標高差がないのと下りだと言うことで、ビールの誘惑に負ける。

前後して歩いていた単独行のオジサンも我々に釣られ「何時もは、下りてからじゃないと飲まないのになぁ。」と言いながら缶ビールの栓を開ける。

小屋前のテーブルでレトルトの昼食を取る。

残念な事は槍ヶ岳山荘名物の「おこわ弁当」を食べ損ねたことだ。少し下調べが足りなかったようだ。

オジサンは先ほどの河原で昼食を済ませたらしい。一足先に出る。

見た様なズボンの色だなぁとおもったら、入れ替わりに今朝の穂先での3人組が来た。

30分も緑の姉ちゃんの尻を見続けていたので私は親しくなったつもりで、「槍の下りはそんなに怖くなかったでしょう。」と声を掛けたのだが、見事にシカトされた。

何て奴だ。よく考えると、あちらは振り返る、もしくは下を見ることがなかったので、私の事を知らないのだった。

3人それぞれにガスコンロを持参で、各自で別の物を作っていた。

穂先ではキャーキャー言っていたが、案外ベテランかもしれない。

最期の山バッチを買ってから、行動開始。

舐めてかかって後悔する。

さようなら槍 飛騨沢
裏銀座稜線 沢歩き

標高差はなくとも谷沿いの道は絶えずアップダウンだ。しかも岩畳の道で飛ぶように歩く。

何かヤバイ気がする。沢を超えること3回、1時間が過ぎると奥穂への分岐である白出小屋に着く。

白出小屋を過ぎると車が走れる林道になる。

後は楽勝だが、まだ1時間以上も歩かねばならなかった。

目の前に牧場が広がる長閑な穂高小屋で、オジサンと合流。

遥か遠く最期の槍の姿を見る。よく歩いたもう少しだ。

車止めのゲートを過ぎて少しすると新尾高温泉駅に到着。

最期にビジターセンターに下山届を出し。ようやく心のふるさと槍ヶ岳登山は終了。

温泉は無料もしくは低料金が多いが、よく聞いて見ると露天風呂だけで、体を洗えない。

3日ぶりの風呂なので高くとも洗える風呂を捜す。

露天しかなく、800円はぼったくりだと思うがしかたない。

運転のリツコとノリヒコには悪いが、ヒロユキと2人で生ビールで無事の登山を祝う。山、温泉、ビールの3種の神器は最高だ。

その後、平湯でノリヒコと分かれ、それぞれ帰路につくのであった。

後日談ではあるが、帰り道、温泉を出てから様子がおかしかった私の左膝は翌日から腫れあがり、病院に行って溜まった水を25cc抜く羽目となった。

あとの3人は筋肉痛もさほどのことはなく、結局私だけがダメージを蒙った訳だ。

修行が足りないみたいだ。

それにしてもヒロユキはスゴイ。次の日も何も無かった様に仕事をしていた。

新たな人材の発掘が一番の収穫かもしれない。

沢渡り 戦いの果て

 

志摩お山歩倶楽部 竹内敏夫

 
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